アブラハムの宗教を語りたい② イエスくんって実在したの?
シリーズ第二弾はキリスト教のお話です。
キリスト教はマジで語りたいことが多すぎるので分けてお話していきたいと思います。
今回は僕がキリスト教を深く勉強しようというきっかけのひとつになった歴史上の人物としてのイエス、いわゆる「史的イエス」についてのお話です。
あまり専門的な話が多くなるとみんなねむねむちゃんこちゃんになってしまうと思うので、あくまでライトにいきたいと思います。
ちなみに、史的イエスの研究というのはイエスの神性を侵すことになるので欧米とかではわりとタブー視されがちな研究ジャンルらしいです。
1.イエスくんの物語
「キリスト」というのは「救世主」という意味のあだ名みたいなものです。
「マハートマ・ガンディー」の「マハートマ」が「偉大なる魂」って意味の称号だったようなもんですね。
当時の時代人には「ナザレのイエス」と呼ばれていました。
当時のヘブライ人には名字的なものはなく、イエスも「ナザレらへんにいるイエスって名前のやつ」みたいな感じでそう呼ばれていました。
聖書とかではいろいろゴージャスに脚色されて超やべーやつのように書かれていますが、ここからはあくまで「実在した歴史上の人物」としてイエスを紹介していきます。
イエスがうまれたのはもちろん西暦元年……ではありません。
研究によってまちまちではありますが、おおかた紀元前3~4年くらいに産まれて、西暦30~36年頃に死んだと言われています。ちなみに産まれたのはクリスマスではなく、3月か10月だという説が有力視されています。
「キリスト」なんて呼ばれて超すげーやつのように感じますが、じつは当時のイスラエル世界には救世主は掃いて捨てるほどいました。
当時のイスラエルはローマの統治を受けていた上にユダヤ神殿は汚職に染まり、住んでいたヘブライ人たちにとってはマジで世紀末感がある世の中でした。
そんななか「自分は救世主だ~」といって取り巻きを連れ歩きながら人から物をもらって生活してる自称救世主はめっちゃたくさんいて、しかも結構うざがられていました。渋谷駅前で「俺将来企業したいんすよ!友達になってください!」って話かけてくるゴミみたいな雑魚と同じですね。
イエスはそんな救世主はびこるイスラエルの、ナザレという場所に住んでいた大工さんの息子でした。
イエスは洗礼者ヨハネという人から色々と教えられて、その過程でちょっと変わったユダヤ教徒になっていきます。というのもこのヨハネがユダヤ教の本流だった当時の二大宗派とは一線を画す宗派の人だったという話があります。
そんなかんじでちょっと変わったヤツになってきたイエスはそのうち「俺は救世主(メシア)だ」とか言い始めました。
きっとまわりのやつはこいつもかよと少しうんざりしたことでしょう。お母さん(マリア)やお父さん(ヨセフ)も「まじめに働いてくれ…」と思ったかもしれません。
しかしイエスはちょっと違いました。イエスは他の物乞いメシアと違いけっこうちゃんとした考えがあるっぽく、しかも他のメシアと言ってることが全然違いました。
他の自称メシアは聖書に出てきたアブラハムやイサクのような預言者を名乗っていたのに対し、イエスは自身を
「神の子」
とか言い始めちゃったのです。アイタタタ…
当時のユダヤ教徒で自称神の子なんてちょっとやばすぎます。どういうことかというと、ユダヤ教の唯一神として知られる「ヤハウェ」は「直接呼ぶべきじゃない」という理由で「アドナイ(主)」「エロヒム(神)」みたいに言い換えられて、それが長く続いたせいで本来の発音が忘れられたからとりあえずヤハウェって呼ぶことにしてるとか、とにかくそのくらい神様は畏れられてるのにイエスは自分を
「神の子」
とか言っちゃってるんですから。ヤバすぎます。
そんなちょっとやばい、あとちょっとイケメンだったかもしれないイエスくんの周りには類友でやべーやつが集まってきました。
イエスくんはやべーやつらを引き連れていろんなところに行きますが、イエスくんのさらに特筆すべきところといえば
最強クラスのレスバ能力を有していたということです。
イエスくんは持ち前のレスバテクでユダヤ教の偉い人たちを次々に論破しました。
腐敗したユダヤ権威や無能弁護士に普段から不満を覚えていた民衆もこれには胸がすく思いだったでしょう。イエスくんの仲間は更に増えました。
イエスくんは周りからよく思われてない人を積極的に仲間にしたり、人智を超えた奇跡を使って人心を集めて行きました…ん?
人智を超えた力?
そうです。彼は「奇跡」と呼ばれる力を使って人々を驚かせていた………と言われていますが実際は大したことはしてないっぽいです。
いや、当時の人からしたらすごいことだったかもしれませんが、聖書に書かれた彼のスーパーパワーは全部事実だとしてもきちんとタネが存在してることばかりです。
以下にその代表的な例を列挙します。
①疫病の人を癒やした
当時流行っていた疫病にらい病というのがあって、めっちゃ見た目が変わってしまうので人々からめちゃくちゃ嫌われ爪弾きにされていました。
キリストは彼らを触れただけで癒やした…と言われていますがもちろんそんなわけありません。
イエスくんは前述のとおり洗礼者ヨハネの導きでちょっと変わった宗派の影響を受けていたと言われています。この宗派はクムラン教団と呼ばれる集団で、少数でしたが進んだ医療の知識を有していたかもしれないのです。
当時の流行病の人は嫌われていたのでまともに治療もしてくれません。家の外でほっぽりだされて誰も近寄らないみたいな感じでした。そら治らんわ。
イエスくんはただその人に近づいておくすりをあげて「あったかくしてねろ」って言っただけです。疫病は治りました。
イエスくんの囲いは「イエっさんヤバwwwww神の子じゃんwwwww」ってなって調子に乗って「触っただけで治った」とか書いちゃいました。やりすぎです。
②死んだ人を蘇らせた
その噂をききつけた人たちはキリストに「ラザロとかいうやつが死んだから蘇らせてくれ」とかいう無理難題をふっかけてきます。キリストは彼のもとへ行き「ラザロ、起きなさい」と言うとラザロは生き返りました……なわけあるか。
当時の葬儀方法は土葬が主でした。というより西洋は今でも土葬が主流です。
土葬の場合死んでない人が勘違いで棺桶に入れられて、埋められたあとに棺桶の中で起きたけど出られなくてそのまま死んだみたいなことがよく起こってました。そういう人の棺をあとから開けたら蓋の裏にひっかき跡とかがついてて、それがゾンビとかアンデッドの下地になっています。ましてや聖書の世界は2000年も前です。民衆の間でまともな検死が行われていたと思うほうが不自然です。
ようするにラザロは死んでなかったのです。仮死状態だったり気絶してただけかもしれません。イエスくんは声をかけてゆさぶったり鼻をつまんだり屁をぶっかけたりしたかもしれませんがとりあえずラザロは起きました。おはよ。
つーか、ラザロはイエスくんのダチだったので、仕込みだったのでは…。
「イエっさんヤバwwwww神の子じゃんwwwww」囲いは喜んで聖書に「ラザロを生き返らせた」とか書いちゃいました。あーあ
③パンと魚を無限に増やした
「山上の垂訓」というエピソードがあります。「右の頬をぶたれたら痛くて悲しい」みたいなことを言ったことで有名なんですが、そのあと話を聞いてた人が腹をすかせたけどパンも魚もちょっとしかない。そこでキリストはそれをどういうわけか人々に分けてまわるとマジでなぜかわからんけど全員に十分な量の食事が行き渡ったという………
は?
あのさあ、真面目に書いてクンナい?マジで。
要するにイエスくんは魚とパンを超増やしました。なにそれ。
一見スーパーパワーなんですが、残念ながらこれにも割と有力なトリックのタネがあります。
当時のイエスくんには金持ちのパトロンがいました。パット見素寒貧でそこそこの弟子を率いてるイエスくんがパトロンからせしめた金で突然彼らに大量の食事を用意してあげたら…
「イエヤバw神子w」
まぁ、こんな感じなんです。蓋を開けたらだいたい囲いが話を盛ってるだけという感じだったのだと思います。
でも同時にイエスくんには「それくらいやっちまうかもしんねェ…」という魅力が備わっていたことも事実でしょう。
話は戻ります。
そんなかんじでイエスくんは順調に仲間を増やし、ついに
「俺、エルサレムに行くわ」
と言います。
エルサレムは当時ももちろんイスラエル世界の中心で、ユダヤ教の神殿とかがあったりして、ちょっとした都会でした。
これはイエスくん一行には覚悟のいることでした。イエスくんはちょっとそこらへんでかなり悪目立ちし始めていたので、イスラエルに行ったら本流のユダヤ神殿の偉い人たちになにをされるかわかりません。虎の穴に飛び込むようなものです。
でもイエスくんはみんなでエルサレムに行きました。当時のイエス君はお母さんに「女よ」とか言っちゃうくらいバチバチにイキり倒してましたから、納得です。
で、エルサレムに入ったら入ったで持ち前のレスバと癇癪でいきなりバチクソやらかしてしまいます。
そんな調子なので速攻地元のパイセンに目をつけられてしまった上にこじらせた囲いがイエスくんの居場所をSNSで暴露してしまったせいでイエスくんは捕まってしまいます。
ほんで当時のイスラエルの支配者であるローマ総督ピラトに引き渡されます。
ピラトは大人の事情から「地元の連中のことに関わりたくねェ…」と思い「イエスを処刑するかどうかお前らが決めろ」と言って、ユダヤ人たちにガチの悪いやつとイエスくんのどっちを助けるか決めさせたところ、みんなガチ悪を助けろと言ってしまったのでイエスくんは処刑されることになってしまいました。
イエスくんは死ぬことが決まったわけですが、それでもかなり堂々としていたので、囲いたちはかなり感極まってしまったかもしれません。
イエスくんはメタクソに鞭打たれて、よく見る十字架にかけられて、死んでしまいました。そして当時の葬儀法にならい遺体は洞窟に安置され入り口を石版で塞がれました。
そのあとなんとイエスくんは三日後に生き返り、弟子たちと40日をともに過ごしたあと
「俺の武勇伝をみんなに語れ」
と言って天に昇っていきました
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もうおわかりですね。どうせ囲いの仕業です。
囲いが、イエスくんの遺体を持ち去ったのでしょう。
当時のイエスくんは馬鹿にならない影響力を有していました。墓前を守っていたローマ兵が囲いになってた可能性は十分に考えられます。
ともかくそうして、イエス君は伝説になりました。めでたしめでたし
2.イエスくんの実像
は~やっと本題です。
はてさて無念にも磔刑に処されたイエスくんでしたが、彼の目的とはいったいなんだったのでしょう。
それはズバリ、腐敗したユダヤ権威の否定、ユダヤ律法の解釈変更、ユダヤ人の団結、ローマ支配からの脱却。このあたりでしょう。
当時のユダヤ神殿がどういうふうに腐敗してたかと言うと、まぁ異教徒であるローマに従属して賄賂とか渡したり渡されたりしていましたし、大事な宗教的儀礼も適当で形骸化してしまって、ユダヤ教の信仰はかなり揺れていました。
もともと戒律が厳しく信者でいるのがわりと大変なユダヤ教。しかも保守的でそういう部分は全然時代に合わせて変化していきません。ローマの支配に寄って人種の往来が増加したイスラエルではそんな旧態依然としたユダヤの教えにうんざりしてた民衆も多かったのです。
そこでイエスは従来のユダヤ教を柔軟に解釈し、ヘブライ人のためだけに存在していた厳格な宗教を、あらゆる人種のための寛容な宗教へと変貌させようとしました。
これは当時のイスラエルではめちゃくちゃトレンディーな行為で、たくさんの人がめちゃくちゃイエスを支持しました。
そして彼はユダヤ教を新しい形に変貌させるとともに、ゆくゆくはイスラエルを自分たちユダヤ教徒のもとに取り戻そうとしたのだと思います。
つまり彼が目指したのは「革命」だったのです。
かつてペリシテを駆逐したダビデやセレウコス朝の支配から独立したユダ・マカバイのように、ローマの傀儡に成り下がったユダヤ神殿と、異教の手に落ちたイスラエルをどうしても取り戻したかったのでしょう。かなりアツいユダヤ教徒だったのだと言えます。
聖書におけるイエスの言葉の中に
わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、 と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。(マタイによる福音書 10章34節)
というのがあります。この前後にも「五体満足で地獄に落ちるくらいなら手も足も切り落とせ」とか「俺を一番に思って俺のために命を捨てろ」とか言ってます。このへんのイエスの言動の苛烈さと言ったら「汝の敵を愛せよ」とまで言った人と同一人物とはとても思えません。
自身が説くユダヤ教の教えに関してはすごく優しくて寛容な発言が多いのに対し、弟子や信奉者に対してはしばしばかなり厳しい言葉や態度で接しています。今日の聖書解釈ではイエスのこうした苛烈な言葉も遠巻きに愛を説いているとする解釈が多いですが、中には無理がある解釈も多く、この一連のやりとりはその代表的なものと言えます。
これは「愛」を説いた訓えとは全く別の目的で発せられた言葉であり、その真意は即ち
「自分たちの信仰は自分たちの手で取り返せ」
と弟子にハッパをかけているというふうにみたほうが自然なのではと、どうしても思えてなりません。
3.ヤラセ疑惑
そしてじつはイエスという存在の出現や生前の行動は、旧約聖書でビタビタに予言されていました。どこで産まれてなにをしてどうやって死ぬというところまでです。
「わーすごーい!」って思いました?ピュアですね。これはたぶん聖書がイエスを予言したのではなく、イエスが聖書の予言どおりに行動したのでしょう。
ユダヤ教は予言と預言者をめちゃくちゃ尊重します。イエスとその弟子は、旧約聖書で予言された「メシア」をなぞって行動することで、救世主としてのイエスをイメージ付けていったのだと思われます。
要するに予言に書いてあることと同じことをして「自分が予言されたメシアだ」と誇示したわけです。ライバルメシアがたくさんいたことを考えれば、死に様まで予言どおりにすれば皆は絶対彼を予言にあったメシアその人だと信じますし、そうなればイエス一行の思うつぼです。人心掌握術ですね。
余談ですが、そこまで行くとイエスはワンチャン死んでないまであるかもしれません。
磔は死に至るまでかなり長い時間がかかります。イエスも相当長いこと耐えていましたが、安息日にさしかかろうというところで、ユダヤ人たちは「安息日に入っても生きてるのは嫌だから早く殺してくれ」とお願いし、それを聞き入れたローマ兵はイエスの足を折り、死を早めました。要するにいまいち必殺っぽくない死に様だったわけです。まわりがけしかけたこととか、そこらへんも含めてな~んか怪しい…。
磔刑に処されることまで旧約聖書で予言されていたことを鑑みれば、この一連の受難はその予言を再現するための一種の芝居みたいなものだったなんてことにも思えます。
4.チェ・ゲバラはイエスにそっくり
チェ・ゲバラという人物がいます。
キューバの革命指導者となった彼も大学で医学を学んでおり、南米の恵まれない人々を医療でもって癒やし、人心を集めていきました。そして熾烈な共産主義革命を指導し、戦いの中で命を落としています。
彼はイエスにそっくりであり、当時から「赤いキリスト」とも呼ばれ、今でも南米では神のごとく崇められている人です。
チェ・ゲバラとイエスを重ねたとき、僕はむしろイエスがゲバラのようだと感じてしまうのです。
5.まとめ
さて、「イエス・キリスト」ではなく「ナザレのイエス」がどのような人物だったか。
彼の行動や言動を、当時の時代背景と聖書的脚色を抜きにして考えると、彼はまさに草の根から身を起こし、きわめて計画的に人心を掌握していき、その民衆を率いて革命に身を投じた政治活動家・宗教革命家だったのかもしれない、というのが僕の解釈です。
は~~~長くなってしまいました。
もっと書きたいことはあるのですが、ひとまず今回は「イエスってどんなやつ?」ということに焦点をあてた内容にとどめておきます。
次回は現代のキリスト教について色々書きたいと思ってます。