『HTC VIVE pro』を買ってVRデヴューした話
つい先日、『HTC VIVE pro』を購入しました。
税込で11万円と、3ヶ月ほど前に購入した原付きと大して変わらない値段で、ポチったときは正直焦りと後悔に苛まれましたが、今となってはそんな気持ちもまったくありません。とにかく買ってよかったと思っています。
そんな僕は、ついこのあいだまでVRにまったく興味がありませんでした。自分で機械を買うこともまずないだろうと思っていました。
この記事では、僕に起こった心境の変化、買うに至ったきっかけ、買ってよかったこと・得られたこと、よくも悪くも思うことなどを綴っておきたいと思います。
買う前:VRは「まだ始まってないコンテンツ」
前述の通り僕はVRに興味がありませんでした。
その最大の理由は「明らかに未成熟な技術である」ことです。
VRはまだ世の中に出て日が浅く、日進月歩の業界です。
映像を立体視の要領で鑑賞し、「奥行き」や「空間」を体験する。VRはとどのつまりそういうものなんですが、それを可能にするコントローラーやHMDなどの機材は見るからに洗練されておらず、小型化や軽量化などまだまだ夢物語で、実装がやっとというような構造。いわば巨大なバッテリーがついた最初期の携帯電話と同じ状態です。
写真のような最初期の携帯電話は「外にいながら好きなときに電話ができる」という新たな体験を可能にする一方、機材は原始的かつ巨大でしかも著しく高価、にもかかわらずまだ用途はかなり限定的でした。まさに今のVRデバイスそのものです。この認識自体は今も大きく変わっていません。
僕はVRデバイスがせめて携帯で言うところのPHSくらいのクオリティに進化してくれるまでVRに手を出すことはないだろうと考えていました。
買うきっかけ:かわいい男のお友達
意固地な僕をVRの世界にいざなったのはdiscordのインフレ(インターネットフレンド)でした。
そのインフレはわりとレアキャラにもかかわらず、かわいらしい声と庇護欲をそそる行動で人気者だったのです。
そんな彼がVRを始め、VRChatで見た目まで可愛くなって動いている姿に、ほかのインフレたちも一人また一人と魅了されていったのです。あの、できれば最期まで読んでいただけますか?
あるとき僕も「VRCに来てみないか?」と誘われました。
僕はVRChatがどのような場所であるかは事前に知っていまいたが、大抵が以下のような悪い噂でした。
・ワールドやキャラクターを作れない無産階級はヒエラルキー下位の日陰者に甘んじる
・ガワが変わっても結局リアルな人間関係に組み込まれる
・そもそも無法地帯であり、治安の悪い外人が暴れまわっている
・外人を避け日本人で集まってもそこは裏声やボイチェンを使ったおっさんの巣窟
・そういう人たちが至るところでバーチャル○モセッ○スに及んでいる
今思えば偏見もいいところなのですが、なんせそういう話ばかり流れてくるので、そういう場所なのだと思っていました。
しかし、インフレに連れられて飛び出したVRCワールドは、そのようなものとは無縁でした。
裏声やボイチェンのおっさんが乳繰り合っているというのは事実でしたが、べつに性行為にまで発展している例もなく(あるにはあるらしいが)、キツさに拍車をかけると思われていた美少女アバターも、むしろそのやりとりを微笑ましく見せる緩衝材としての役割を果たしていました。これは実際に入って見てみないとわからないことでした。
ていうか、VRC内のインフレは普通に可愛くて、なんか頑張ればガチ恋もできそうだなくらいに感じました。頭なでたときとかに喜んだり恥ずかしがったりする彼らを見ていると胸の中に温かいものが広がっていく感覚を覚えたのです。最後まで読んでください。
治安も思っていた以上に悪くなく、他人に迷惑をかけるようなおふざけは未だに一度も見ていませんし、みんな基本的には相互のグループに干渉せずVRCを楽しんでいました。
まぁ、よく考えればそもそも高い機材が「ふるい」の役割を果たして、あまり治安の悪い人は来られないようになっているので当然だったのかも知れません。
さて、僕は友人たちと書道ができるワールドに行きましたが、やはりVR機材のないデスクトップ環境ではなかなか思うようにお習字が出来ません。
そうして悪戦苦闘していると、見知らぬ外国人がワールドに入ってきました。
聞くと彼はドイツ人だそうです。
僕は大学や地域のコミュニティ、インターネット上で幾度となくドイツ人と出会ってきました。
そんな僕がドイツ人に出会ったときにやることといえば、決まっています。
僕ら日本人とドイツ人は過去の栄光を共有することですぐに打ち解けることができるのです。
そんな彼はお返しにと、大きな半紙に例の旗を描いてくれたので、僕もすかさず偉大な指導者の肖像を以てこれに応えました。
そんなふうに小一時間を過ごしたのち、ドイツ人の彼は「see you japanese good guys!!」と言い残しその場を去っていきました。
(ハングル書いてたし本当は韓国人だったかもしれん)
僕らの中に萌芽したちいさな友情。
その暖かさに触れたとき、僕は思ったのです。
───もっときれいにハーケンクロイツを描きたい ───
こうして僕はVRデビューを果たしました。
買ってよかったこと:ビートセイバーとかいう神ゲー
さっそくVRの世界に飛び込んだ僕。まずは友人たちとVRCに行きましたが、これは普通に楽しかったです。デスクトップのときとはまったく違う感覚、「これがVRChatかあ」という感動に包まれました。
VRを使うことでインタラクティブなコミュニケーションが可能となり、より交流を楽しむことが出来ました。
VR集会が終わった後、僕はかねてより興味があったVRゲームを購入しました。
それがこの「Beat Saber」。
じつはこのBeatSaber、VRアンチだった僕もかねてよりプレイしてみたいと思い続けていたタイトルであり、VRデバイスを買うに至ったもうひとつの大きなきっかけでした。
このゲームは2本の剣で奥から流れてくるノードをバッサバッサと切っていく音ゲーなのですが、これがマジでマジでマジで楽しいのです。
ノリのいい音楽と映像の臨場感が合わさって、普通の音ゲーでは味わえない圧倒的な没入感があります。
さらにこのゲームは既存の曲にオリジナル譜面をつけて配布しているサイトがあり、そこで取得したあんなアニソンやこんなゲームソングをプレイすることができるのです。もちろん自分で作ることも可能です。すごいや!
そして極めつけにマジで結構な運動になります。
僕は呼吸が下手くそなのでランニングとかジョギングをするといつも脈拍が195とかまで上がって、ウェアラブルデバイスに「今すぐ運動を中止しろ!!」って怒られてしまいます。要するになかなか最適な運動強度での有酸素運動ができないという悩みがあったのですが、このゲームはそれを解決してくれました。
譜面によっては全身をダイナミックに使ってプレイしなければならないものもあり、一時間もプレイすればTシャツが絞れるほどの汗をかいていました。
僕はプレイするたびHMDのフェイスクッションはずぶ濡れになり、フローリングには汗が滴っています。
つまりこのゲームはかなり質のいい有酸素運動を極めて楽しみながらすることを可能にしてくれました。
これが僕にとって本当に嬉しくて、気づいたら全身が筋肉痛になって足に豆ができるほどプレイしてしまいました。どうかんがえてもやりすぎですが、平気でできてしまうからすごい。
正直、このゲームのためだけに10万払う価値は十分にあったと思います。
仲間を増やしたい!:懸念点など
さて、僕は全体としてはVRをはじめて大満足していますし、一人でも多くの友人とこの素晴らしい体験を共有したいですが、それにさしあたっていくつか忌憚のない意見を述べておこうと思います。
まずやはり機材が高いです。なかなか「一緒にやろうぜ!」といって始められる価格ではないことは事実です。
ですが、僕が購入した『HTC VIVE Pro(十万円)』だけでなく、世の中にはいろいろなVRデバイスが存在しています。
充分な資金と高いスペックのPCがあり、こだわりが強い人であれば僕と同じ『HTC VIVE Pro』をおすすめします。全体的なスペックは他のデバイスより優れていますし、別売りのセンサを追加購入することで全身の動きをトラッキングできます(フルトラッキングといい、これをしている人はフルトラマンとよばれています)。
ただケーブルがちょっと太くてS2機関を取り込んでいないエヴァンゲリオンのような感じになってしまうことが難点です。
また部屋に2㎡(一畳とちょっと)以上の空間を確保できない人はこのデバイスのスペックを存分に発揮できないので、ほかのものにしたほうが値段的に無難かもしれません。「ベースステーション」と呼ばれるトラッキングセンサーのセッティングも大変です。これは壁の高いところに取り付ける必要があるので木ネジが付属していますが、賃貸住まいの人など壁に穴が開けられない人は、カーテンレールに取り付けたり突っ張り棒を使うなどの工夫が必要です。
準備や投資が大変だけど得られる体験の質は高いというのがこのデバイスの特徴です。
「VRができるくらいのPCはあるものの、部屋が狭かったり資金が少ない」って人は『Oculus Rift』もいいかもしれません。
VIVE proに比べるとトラッキングの精度などにやや劣りますが、値段は半分ですし、さらにトラッキングに必要なセンサがHMDに内蔵されているためベースステーションが不要です。賃貸住まいの人も安心です。
僕はまわりがVIVEユーザーだったのでおすすめされるままVIVE proを選択しましたが、最初はこれにしようと思ってました。たぶんこれを買ってもあまり後悔はなかったと思います。コスパを考えれば十分以上だと思われます。
スペックが適ったPCを持っていない人は『Oculus Quest』などのオールインワンHMDもいいのかもしれません。僕は最初から選択肢に入れてなかったのでよくわかりませんが。
なおOculus Questの場合『BeatSaber』で好きな曲をプレイする「レベルエディット機能」は未実装&配信時期未定なので、BeatSaberであんな曲やこんな曲を遊びたいと思っている人は注意してください。ちなみにPSVR版にはそもそも実装されないそうです。
その他にも色々あるみたいですが、価格や用途・スペックを鑑みると、おおむねOculus Rift s かHTC VIVE proの二択なのかな~と思います。興味がある人は他にも調べてみるといいかも知れません。
僕と一緒にVRしようぜ:
始める前にいろいろと偏見や懸念があったVRですが、やってみるとかなり楽しく、ちかごろゲームにすっかり飽いていた僕にとっては本当に素晴らしい体験となりました。
僕はキャラモデリングを学ぶ過程でVRC用のモデルは既に制作済みなのですが、VRCはプレイ時間などが一定以上に達していないと自作モデルを持っていくことは出来ないそうです…。
とはいえそれほど時間はかからないそうなので、はやく自分の子をVRCに持っていって遊びたいですね。
そしてBeatSaberで爽やかな汗を流してダイエットに成功し、VRCでかわいい彼氏彼女をつくって充実したバーチャルライフを送りたいと思っています。
これを読んでいるあなたともぜひVRで会いたい!会おう!買おう!みんな!
世はまさに大VR時代!
アブラハムの宗教を語りたい③ キリスト教が多すぎる
第三弾です。
ちょっとずつ自分があんまり詳しくない領域に行くにつれて勉強の必要性が出現してきていますが、楽しいので続けます。
さて、このブログをご覧になっているキリスト教徒でないみなさんは、今までどのような形でキリスト教に触れてきたでしょうか。
おそらく
・チャリンコに乗って話しかけてくる二人組
・学校の前で本を配ってるおっさん
・家に来るババア
のどれかだったのではないでしょうか。
この人達はどれも一応キリスト教の一種なのですが、微妙~~~にキリスト教っぽくないところがあったりなかったりするかんじで、ちょっと反応に困る感じの人達です。
まぁ「キリスト教っぽいってなんやねん」と言われると込み入った話になるのであれなのですが、何が言いたいかと言うと世の中にはいろんなキリスト教があるということです。
とりあえず今回は「キリスト教がどうやって産まれて、どんなふうに広がって、なにがあって今どうなってんのか」みたいなことを軽く軽く解説したいと思います。
1.パウロくんの物語
ときは一世紀のイスラエル。
イエスくんがいなくなってから、仲間たちはイエスくんの武勇伝を広めて回りました。
「イエっさんはマジでパねえから!」そうやって頑張って宣教してたなか、そんな彼らをしばき倒して回る怖い奴がいました。
パウロくんです。
パウロくんは熱心なユダヤ教徒だったので、よくわかんねえことを言うキリスト教とキリスト教徒にマジでムカついていて、誰彼構わず「どこ中だコラ!」とメンチを切り、相手がキリ中だとわかった瞬間にボコボコにしていました。
当時の初期キリスト教会にはステファノくんというギリシャ人が協力していたのですが、そのステファノくんを石でボコボコにして殺しちゃうくらいの暴れん坊でした。そのくらいキリスト教が嫌いだったんです。怖いですね。
そんなパウロくん、ある日駄魔巣化巣(ダマスカス)という街に自慢の単車をすっ飛ばして向かっていました。目的は勿論キリ中狩りです。
そのときです。突然パウロくんをまばゆい光が包みました。
おそらく向かいからやってきた単車のハイビームでしょう。
驚いて思わず単車を止めるパウロくん。そんな彼に語りかける声がありました。
「オメーか?俺のダチをボコってるってガキは」
「んだコラァ!誰だテメェ!」
パウロくんはハイビームに視界が奪われながらも応えます。
「とりあえず街に入れよ。わからせてやるからよ」
「上等だオラァ!!」
パウロくんは駄魔巣化巣の街に入りました。
ところがパウロくん、さきほどのハイビームがまぶしすぎたせいか、目は開いているのに何も見えません。
「ナメやがってよお…絶対ぶっ殺してやるからよ…!」決意も新たに暗中模索でキリ中の連中を探すパウロくんですが、三日三晩飲まず食わずで探しても見つかりません。
いよいよ意気消沈してきたパウロくんのもとにある男が現れます。アナニアです。
ヒョロガリのメガネでいかにも弱そうでしたが、アナニアは紛れもないキリ中の生徒でした。
「君がパウロくん…ですね。僕たちを迫害して回ってるっていう…」
いつものパウロくんなら速攻ボコっているのですが、なんせ目が見えないので何も出来ません。
するとアナニアは訝しむパウロくんの手を取り、空に向かってこう言いました。
「イエスくん。こいつがパウロくんだよね。約束通り見つけたよ。助けてあげてよ」
するとどうでしょう。パウロくんの眼から突然うろこのようなものが剥がれ落ち、パウロくんは目が見えるようになったのです。
「これもイエスくんの力だよ。きみは精霊で満たされたんだ」
パウロくんはしばし呆気にとられましたが、やがて「イエス…オメーはマジですげえやつだったんだな……」と感心し、心を入れ替え、キリ中に転校します。そしてパウロくんは今までキリ中狩りに費やしていた力をキリ中の天下取りに注ぎ込むようになりました。
ちなみにこれが目から鱗が落ちるの語源です。
パウロくんはイスラエル世界を出て、ローマの領内でめちゃくちゃ宣教をしました。その宣教ぶりはマジですさまじく精力的で、新約聖書を構成する27文書のうちじつに13文書がパウロくんが仲間に送ったラインです。すごい。
彼はユダヤ人のための民族宗教だった初期キリスト教を、異邦人にもあまねく述べ伝えたのです。あとあまりに熱が入りすぎてほんのちょこっとだけパウロくん流の解釈で広めてしまいました。
でもそういうところがキリ中12天王の反感を買い、仲間割れしたこともありましたが、それでもパウロくんは宣教をやめませんでした。
その甲斐あってローマじゅうにめちゃくちゃ広がったキリスト教でしたが、やりすぎた結果、地元のヤクザの露尾魔組組長ネロさんに目をつけられ、拉致られて殺されてしまいます。
「イエス、ようやくテメーのツラ拝めるな……顔洗って待ってやがれよ……」
刑場に曳かれるパウロくんはどこか満足げでした。
こうして「回心者パウロ」の壮絶な伝導人生は幕を閉じたのです。
今までイスラエル世界、出てギリシャのちょっとくらいにとどまっていたキリスト教が今日世界中で信仰されているのは、イエスに直接会ってもいなければ12使徒でもない、パウロくんの宣教活動があったからなのです。
2.「キリスト教」の分裂①:大シスマ
パウロくんの活躍もありローマ領内で大人気になったキリスト教は、当時ローマの国教だったミトラ教などを押しのけ、西暦313年のミラノ勅令でついにローマの国教となります。
それから少し経ったあとにローマで教皇が誕生し、現在まで続くカトリック教会が成立しました。ユダヤ教の一分派であったキリスト教が明確に別の宗教として立脚したのです。
そんなカトリック教会でしたが、できたときからけっこう中の悪い連中がいました。
それが「東方教会」です。
当時のローマにはざっくり西側を管轄するローマ教皇と、ざっくり東側を管轄するコンスタンティノーポリ総主教がいました。
どちらも同じキリスト教なのですが、あんまり交流がなかったりしたので、互いの解釈違いがどんどん拡大していきました。
東方厨と西方厨はたがいに諍い合い、1054年にはついに互いが互いのアタマを破門するという出来事が起こりました。
これによって、カトリックからブニっと分裂して東方正教会が成立します。
この分裂はキリスト教分裂の中で特に大きな分裂だったので「大シスマ」と言ったりするそうです。
この二者はしばらくめちゃくちゃ仲が悪い時期が続き、軍隊を送ってぶっ殺し合ったりとかしてました。イエスくんも悲しんでるよ。
3.「キリスト教」の分裂②:宗教改革
時代は下って15世紀、イエスくんの時代から1500年が経った頃……
カトリックはゴミカス化していました。
※あくまでも当時
さきほど東方厨と西方厨が軍隊送って殺し合いをしてると言いましたが、基本的に軍隊を送り込んでるのは西方厨のほうでした。十字軍というやつですね。
とはいえ、正教会信徒が殺害の対象になった遠征はそう多くありません。基本的にはイスラム教徒との戦いであり、東方厨はメイド長のパッドがどうとか言ったときだけ殺されていました。
ていうか、そもそもヤハウェの教えである十戒には「汝殺すなかれ」という文言があります。キリスト教はユダヤ教のもとに立脚しており、そんなユダヤ教のいちばん大切なルールが十戒です。つまり十戒の教えはキリスト教徒にとってもめちゃくちゃ大切なものなのですが、にもかかわらずキリスト教徒たるカトリックは軍隊を組織して異教徒をぶち殺しまくっていました。
「そんなことしてもいいの?」と思ったそこのキリスト教徒さん!大丈夫ですよ!
十字軍に参加して異教徒を殺すのは罪じゃありません!むしろ天国にいけます!喧嘩は好きなときにできてしかも勝つ!!
さらにそれだけには飽き足りません。そういう自分たちの行動の矛盾を逆手に取った彼らは
免罪符を売りはじめました。
この免罪符は信者が今まで犯した罪を帳消しにしてくれるパワーをもっていました。
盗んでも、犯しても、殺しても、給付金でパチンコをしても免罪符があればぜんぶ帳消しです。つまり犯罪が金を払えば許されるようになったのです。聖職者はそれでじゃぶじゃぶ金儲け。この免罪符はまさに腐敗の象徴と言ってもいいでしょう。
そんなハチャメチャな状態になったカトリックを公然と批判した人物がいました。
マルティン・ルターさんです。
マルティン・ルターさんは大学の教授でしたが「さすがに免罪符はないでしょ……」となり、免罪符を批判する文書をいろんなところにはりつけて回りました。
教会はこれにブチギレ、ルターに「やめねえと潰すぞコラ」と言いますが、ルターは売り言葉に買い言葉で教会からの勧告書を燃やします。
かくしてカトリックを破門されたルターですが、正論を言う彼についていく人はめちゃくちゃ多く、ついには自ら宗派を立ち上げることになりました。
そんなルターの考えに追随し、今までカトリックに不満を溜め込んでいた人たちが「ぼくがかんがえたさいきょうのきりすときょう」を世界中でぶっ立て始めました。
これが宗教改革です。
例を上げればバプテスト会、カルヴァン派、ピューリタン(清教徒)、イングランド聖公会、…などなど。
こういう宗教改革によって発生したカトリックでも東方系でもないキリスト教教派のことをまとめてプロテスタントといいます。
※イングランド聖公会はプロテスタントではなく、プロテスタントとカトリックの中間とみなすむきもあるそうです
4.現在のキリスト教&ここまでのまとめ
さて、ここまでのお話をまとめると、キリスト教には大きく分けて
・正教会
の3教派があるということがわかりました。
では現代の価値観でそれぞれどういう違いがあるのでしょう。
・カトリック
まずカトリック教会こそ、みなさんがぼんやりイメージするキリスト教そのものだと思います。ロザリオをさげたり、修道女がいたり、姦淫をしちゃダメだったりします。
カトリックは他とくらべるとややルールが厳しく厳格な傾向があります。自給自足と禁欲を是とする修道院と修道女が存在するのはカトリックだけです。神父さんがいるのもカトリックだけですね。
※例外的に、修道院は後述のルーテル教会にもちょっとあるそうです
七つの大罪や「煉獄」(天国に行く前の浄化槽のようなもの。地獄とは別)の概念があるのもカトリックだけです。
そういう意味では一般的な「キリスト教といえば~」が詰まっているのがカトリックだといえます。
・正教会
正教会は、みなさんがイメージするキリスト教とはすこし変わっているかもしれません。
東方正教会においては、聖人の名前や聖句などはギリシャ語で発音します。
「イエス・キリスト」は「イイスス・ハリストス」、「アーメン」は「アミン」などといったぐあいです。
また十字架もよく見る十文字ではなく八端十字架と呼ばれるものが用いられます。
これは普通の十字架の、上側に罪状書きを、下側に足置きを描いた十字架です。
どちらもイエスがはりつけられた十字架の形についていたもので、それをよりリアルに再現した図案といえます。
そして正教会最大の特徴は教会の内装がめっちゃ豪華だということです。
これは僕が昔実際に正教会の教会に出入りしていた時期に司祭さんからうかがった話なのですが、正教会は東方などの異民族に対してさかんに伝導されていました。その中には文字が読めない人も、貧しい人々もたくさんいました。
そういう人々でも、豪華な内装、華美な装飾、壁天井に所狭しと描かれたイコンによって、どんな人でも教会に入ったとたんに神を感じられるようにする工夫だったのだそうです。
伝導の対象がそういう人々だったので、正教会は総じて戒律じみたものはほとんどなく、自由でおおらかな教派だといえます。
・プロテスタント
最初に言っておくと「プロテスタントはこういうの」という特徴はありません。
宗教改革の際にカトリックから分かれた東方系でない教派全体を指してプロテスタントというのであって、プロテスタントすべてに共通して存在する特徴はないといっていいでしょう。
しいて言えば、日本で普及しているキリスト教の多くはプロテスタントだといえます。バプテスト教会やルーテル教会などがそれにあたります。
それぞれの教会は、独自の考え方や教えなどをもっていますが、でも互いにいがみ合ったり否定し合ったりすることはなく、教会が違ってもみんな「キリスト教徒」という連帯感を持って生活しています。いい話ですね。ルターも天国でさぞ喜んでいることでしょう。
・プロテスタント?
ちなみに、冒頭で言った
・チャリンコに乗って話しかけてくる二人組
・学校の前で本を配ってるおっさん
・家に来るババア
は、日本ではだいたい
「末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)」か「エホバの証人」のどちらかです。
この2つは、まぁ、キリスト教です。ですが2つともちょっと変わっていて、「モルモン教」はジョセフ・スミスというアメリカ人が書いた「イエスは昇天するまえにアメリカに寄り道した」という内容の同人誌を聖書と同じくらい大事にしている教会で、「エホバの証人」は「この世はサタンに支配されてていつか神とサタンの最終戦争が行われます」って言ってる教会です。
まぁこの際、どこが異端認定されてるとかなんとかそういう否定的なことを言うのはやめておきましょう。
ただ「家に来たババァにお茶でも出してやろうかな」とか「チャリンコの兄ちゃんたちと仲良くしようかな」と思っている人がいらっしゃいましたら、その前にこの2つの教会について詳しく調べ、出会ったらまず教会の名前を尋ねてからにしたほうが良いかと思われます。
5.キリスト教はこわくない
いかがだったでしょうか。
チャリンコとおっさんとババアのせいでキリスト教に悪いイメージをもっている皆さんは、ぜひこの機会にキリスト教の多様性を知っていただき、もしも更に興味があれば、自分から教会に足を運んでみてください。例のやつが収まってから。
教会は日曜日の朝にはきっと開いています。そして絶対に拒まれることはありません。そしてよくある勘違いなのですが強引な勧誘をされることは絶対にありません。※例の2つ以外は。
キリスト教の歴史はすなわち人類の歴史です。ものすごくエモくて、ものすごく面白いものです。宗教そのものを毛嫌いしている人たちも、いちどパウロやルターが切り開いた現代キリスト教の寛容さに触れてみていただけると、僕としても嬉しいな~と思います。
ちなみに僕はキリスト教徒ではありません。
アブラハムの宗教を語りたい② イエスくんって実在したの?
シリーズ第二弾はキリスト教のお話です。
キリスト教はマジで語りたいことが多すぎるので分けてお話していきたいと思います。
今回は僕がキリスト教を深く勉強しようというきっかけのひとつになった歴史上の人物としてのイエス、いわゆる「史的イエス」についてのお話です。
あまり専門的な話が多くなるとみんなねむねむちゃんこちゃんになってしまうと思うので、あくまでライトにいきたいと思います。
ちなみに、史的イエスの研究というのはイエスの神性を侵すことになるので欧米とかではわりとタブー視されがちな研究ジャンルらしいです。
1.イエスくんの物語
「キリスト」というのは「救世主」という意味のあだ名みたいなものです。
「マハートマ・ガンディー」の「マハートマ」が「偉大なる魂」って意味の称号だったようなもんですね。
当時の時代人には「ナザレのイエス」と呼ばれていました。
当時のヘブライ人には名字的なものはなく、イエスも「ナザレらへんにいるイエスって名前のやつ」みたいな感じでそう呼ばれていました。
聖書とかではいろいろゴージャスに脚色されて超やべーやつのように書かれていますが、ここからはあくまで「実在した歴史上の人物」としてイエスを紹介していきます。
イエスがうまれたのはもちろん西暦元年……ではありません。
研究によってまちまちではありますが、おおかた紀元前3~4年くらいに産まれて、西暦30~36年頃に死んだと言われています。ちなみに産まれたのはクリスマスではなく、3月か10月だという説が有力視されています。
「キリスト」なんて呼ばれて超すげーやつのように感じますが、じつは当時のイスラエル世界には救世主は掃いて捨てるほどいました。
当時のイスラエルはローマの統治を受けていた上にユダヤ神殿は汚職に染まり、住んでいたヘブライ人たちにとってはマジで世紀末感がある世の中でした。
そんななか「自分は救世主だ~」といって取り巻きを連れ歩きながら人から物をもらって生活してる自称救世主はめっちゃたくさんいて、しかも結構うざがられていました。渋谷駅前で「俺将来企業したいんすよ!友達になってください!」って話かけてくるゴミみたいな雑魚と同じですね。
イエスはそんな救世主はびこるイスラエルの、ナザレという場所に住んでいた大工さんの息子でした。
イエスは洗礼者ヨハネという人から色々と教えられて、その過程でちょっと変わったユダヤ教徒になっていきます。というのもこのヨハネがユダヤ教の本流だった当時の二大宗派とは一線を画す宗派の人だったという話があります。
そんなかんじでちょっと変わったヤツになってきたイエスはそのうち「俺は救世主(メシア)だ」とか言い始めました。
きっとまわりのやつはこいつもかよと少しうんざりしたことでしょう。お母さん(マリア)やお父さん(ヨセフ)も「まじめに働いてくれ…」と思ったかもしれません。
しかしイエスはちょっと違いました。イエスは他の物乞いメシアと違いけっこうちゃんとした考えがあるっぽく、しかも他のメシアと言ってることが全然違いました。
他の自称メシアは聖書に出てきたアブラハムやイサクのような預言者を名乗っていたのに対し、イエスは自身を
「神の子」
とか言い始めちゃったのです。アイタタタ…
当時のユダヤ教徒で自称神の子なんてちょっとやばすぎます。どういうことかというと、ユダヤ教の唯一神として知られる「ヤハウェ」は「直接呼ぶべきじゃない」という理由で「アドナイ(主)」「エロヒム(神)」みたいに言い換えられて、それが長く続いたせいで本来の発音が忘れられたからとりあえずヤハウェって呼ぶことにしてるとか、とにかくそのくらい神様は畏れられてるのにイエスは自分を
「神の子」
とか言っちゃってるんですから。ヤバすぎます。
そんなちょっとやばい、あとちょっとイケメンだったかもしれないイエスくんの周りには類友でやべーやつが集まってきました。
イエスくんはやべーやつらを引き連れていろんなところに行きますが、イエスくんのさらに特筆すべきところといえば
最強クラスのレスバ能力を有していたということです。
イエスくんは持ち前のレスバテクでユダヤ教の偉い人たちを次々に論破しました。
腐敗したユダヤ権威や無能弁護士に普段から不満を覚えていた民衆もこれには胸がすく思いだったでしょう。イエスくんの仲間は更に増えました。
イエスくんは周りからよく思われてない人を積極的に仲間にしたり、人智を超えた奇跡を使って人心を集めて行きました…ん?
人智を超えた力?
そうです。彼は「奇跡」と呼ばれる力を使って人々を驚かせていた………と言われていますが実際は大したことはしてないっぽいです。
いや、当時の人からしたらすごいことだったかもしれませんが、聖書に書かれた彼のスーパーパワーは全部事実だとしてもきちんとタネが存在してることばかりです。
以下にその代表的な例を列挙します。
①疫病の人を癒やした
当時流行っていた疫病にらい病というのがあって、めっちゃ見た目が変わってしまうので人々からめちゃくちゃ嫌われ爪弾きにされていました。
キリストは彼らを触れただけで癒やした…と言われていますがもちろんそんなわけありません。
イエスくんは前述のとおり洗礼者ヨハネの導きでちょっと変わった宗派の影響を受けていたと言われています。この宗派はクムラン教団と呼ばれる集団で、少数でしたが進んだ医療の知識を有していたかもしれないのです。
当時の流行病の人は嫌われていたのでまともに治療もしてくれません。家の外でほっぽりだされて誰も近寄らないみたいな感じでした。そら治らんわ。
イエスくんはただその人に近づいておくすりをあげて「あったかくしてねろ」って言っただけです。疫病は治りました。
イエスくんの囲いは「イエっさんヤバwwwww神の子じゃんwwwww」ってなって調子に乗って「触っただけで治った」とか書いちゃいました。やりすぎです。
②死んだ人を蘇らせた
その噂をききつけた人たちはキリストに「ラザロとかいうやつが死んだから蘇らせてくれ」とかいう無理難題をふっかけてきます。キリストは彼のもとへ行き「ラザロ、起きなさい」と言うとラザロは生き返りました……なわけあるか。
当時の葬儀方法は土葬が主でした。というより西洋は今でも土葬が主流です。
土葬の場合死んでない人が勘違いで棺桶に入れられて、埋められたあとに棺桶の中で起きたけど出られなくてそのまま死んだみたいなことがよく起こってました。そういう人の棺をあとから開けたら蓋の裏にひっかき跡とかがついてて、それがゾンビとかアンデッドの下地になっています。ましてや聖書の世界は2000年も前です。民衆の間でまともな検死が行われていたと思うほうが不自然です。
ようするにラザロは死んでなかったのです。仮死状態だったり気絶してただけかもしれません。イエスくんは声をかけてゆさぶったり鼻をつまんだり屁をぶっかけたりしたかもしれませんがとりあえずラザロは起きました。おはよ。
つーか、ラザロはイエスくんのダチだったので、仕込みだったのでは…。
「イエっさんヤバwwwww神の子じゃんwwwww」囲いは喜んで聖書に「ラザロを生き返らせた」とか書いちゃいました。あーあ
③パンと魚を無限に増やした
「山上の垂訓」というエピソードがあります。「右の頬をぶたれたら痛くて悲しい」みたいなことを言ったことで有名なんですが、そのあと話を聞いてた人が腹をすかせたけどパンも魚もちょっとしかない。そこでキリストはそれをどういうわけか人々に分けてまわるとマジでなぜかわからんけど全員に十分な量の食事が行き渡ったという………
は?
あのさあ、真面目に書いてクンナい?マジで。
要するにイエスくんは魚とパンを超増やしました。なにそれ。
一見スーパーパワーなんですが、残念ながらこれにも割と有力なトリックのタネがあります。
当時のイエスくんには金持ちのパトロンがいました。パット見素寒貧でそこそこの弟子を率いてるイエスくんがパトロンからせしめた金で突然彼らに大量の食事を用意してあげたら…
「イエヤバw神子w」
まぁ、こんな感じなんです。蓋を開けたらだいたい囲いが話を盛ってるだけという感じだったのだと思います。
でも同時にイエスくんには「それくらいやっちまうかもしんねェ…」という魅力が備わっていたことも事実でしょう。
話は戻ります。
そんなかんじでイエスくんは順調に仲間を増やし、ついに
「俺、エルサレムに行くわ」
と言います。
エルサレムは当時ももちろんイスラエル世界の中心で、ユダヤ教の神殿とかがあったりして、ちょっとした都会でした。
これはイエスくん一行には覚悟のいることでした。イエスくんはちょっとそこらへんでかなり悪目立ちし始めていたので、イスラエルに行ったら本流のユダヤ神殿の偉い人たちになにをされるかわかりません。虎の穴に飛び込むようなものです。
でもイエスくんはみんなでエルサレムに行きました。当時のイエス君はお母さんに「女よ」とか言っちゃうくらいバチバチにイキり倒してましたから、納得です。
で、エルサレムに入ったら入ったで持ち前のレスバと癇癪でいきなりバチクソやらかしてしまいます。
そんな調子なので速攻地元のパイセンに目をつけられてしまった上にこじらせた囲いがイエスくんの居場所をSNSで暴露してしまったせいでイエスくんは捕まってしまいます。
ほんで当時のイスラエルの支配者であるローマ総督ピラトに引き渡されます。
ピラトは大人の事情から「地元の連中のことに関わりたくねェ…」と思い「イエスを処刑するかどうかお前らが決めろ」と言って、ユダヤ人たちにガチの悪いやつとイエスくんのどっちを助けるか決めさせたところ、みんなガチ悪を助けろと言ってしまったのでイエスくんは処刑されることになってしまいました。
イエスくんは死ぬことが決まったわけですが、それでもかなり堂々としていたので、囲いたちはかなり感極まってしまったかもしれません。
イエスくんはメタクソに鞭打たれて、よく見る十字架にかけられて、死んでしまいました。そして当時の葬儀法にならい遺体は洞窟に安置され入り口を石版で塞がれました。
そのあとなんとイエスくんは三日後に生き返り、弟子たちと40日をともに過ごしたあと
「俺の武勇伝をみんなに語れ」
と言って天に昇っていきました
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もうおわかりですね。どうせ囲いの仕業です。
囲いが、イエスくんの遺体を持ち去ったのでしょう。
当時のイエスくんは馬鹿にならない影響力を有していました。墓前を守っていたローマ兵が囲いになってた可能性は十分に考えられます。
ともかくそうして、イエス君は伝説になりました。めでたしめでたし
2.イエスくんの実像
は~やっと本題です。
はてさて無念にも磔刑に処されたイエスくんでしたが、彼の目的とはいったいなんだったのでしょう。
それはズバリ、腐敗したユダヤ権威の否定、ユダヤ律法の解釈変更、ユダヤ人の団結、ローマ支配からの脱却。このあたりでしょう。
当時のユダヤ神殿がどういうふうに腐敗してたかと言うと、まぁ異教徒であるローマに従属して賄賂とか渡したり渡されたりしていましたし、大事な宗教的儀礼も適当で形骸化してしまって、ユダヤ教の信仰はかなり揺れていました。
もともと戒律が厳しく信者でいるのがわりと大変なユダヤ教。しかも保守的でそういう部分は全然時代に合わせて変化していきません。ローマの支配に寄って人種の往来が増加したイスラエルではそんな旧態依然としたユダヤの教えにうんざりしてた民衆も多かったのです。
そこでイエスは従来のユダヤ教を柔軟に解釈し、ヘブライ人のためだけに存在していた厳格な宗教を、あらゆる人種のための寛容な宗教へと変貌させようとしました。
これは当時のイスラエルではめちゃくちゃトレンディーな行為で、たくさんの人がめちゃくちゃイエスを支持しました。
そして彼はユダヤ教を新しい形に変貌させるとともに、ゆくゆくはイスラエルを自分たちユダヤ教徒のもとに取り戻そうとしたのだと思います。
つまり彼が目指したのは「革命」だったのです。
かつてペリシテを駆逐したダビデやセレウコス朝の支配から独立したユダ・マカバイのように、ローマの傀儡に成り下がったユダヤ神殿と、異教の手に落ちたイスラエルをどうしても取り戻したかったのでしょう。かなりアツいユダヤ教徒だったのだと言えます。
聖書におけるイエスの言葉の中に
わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、 と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。(マタイによる福音書 10章34節)
というのがあります。この前後にも「五体満足で地獄に落ちるくらいなら手も足も切り落とせ」とか「俺を一番に思って俺のために命を捨てろ」とか言ってます。このへんのイエスの言動の苛烈さと言ったら「汝の敵を愛せよ」とまで言った人と同一人物とはとても思えません。
自身が説くユダヤ教の教えに関してはすごく優しくて寛容な発言が多いのに対し、弟子や信奉者に対してはしばしばかなり厳しい言葉や態度で接しています。今日の聖書解釈ではイエスのこうした苛烈な言葉も遠巻きに愛を説いているとする解釈が多いですが、中には無理がある解釈も多く、この一連のやりとりはその代表的なものと言えます。
これは「愛」を説いた訓えとは全く別の目的で発せられた言葉であり、その真意は即ち
「自分たちの信仰は自分たちの手で取り返せ」
と弟子にハッパをかけているというふうにみたほうが自然なのではと、どうしても思えてなりません。
3.ヤラセ疑惑
そしてじつはイエスという存在の出現や生前の行動は、旧約聖書でビタビタに予言されていました。どこで産まれてなにをしてどうやって死ぬというところまでです。
「わーすごーい!」って思いました?ピュアですね。これはたぶん聖書がイエスを予言したのではなく、イエスが聖書の予言どおりに行動したのでしょう。
ユダヤ教は予言と預言者をめちゃくちゃ尊重します。イエスとその弟子は、旧約聖書で予言された「メシア」をなぞって行動することで、救世主としてのイエスをイメージ付けていったのだと思われます。
要するに予言に書いてあることと同じことをして「自分が予言されたメシアだ」と誇示したわけです。ライバルメシアがたくさんいたことを考えれば、死に様まで予言どおりにすれば皆は絶対彼を予言にあったメシアその人だと信じますし、そうなればイエス一行の思うつぼです。人心掌握術ですね。
余談ですが、そこまで行くとイエスはワンチャン死んでないまであるかもしれません。
磔は死に至るまでかなり長い時間がかかります。イエスも相当長いこと耐えていましたが、安息日にさしかかろうというところで、ユダヤ人たちは「安息日に入っても生きてるのは嫌だから早く殺してくれ」とお願いし、それを聞き入れたローマ兵はイエスの足を折り、死を早めました。要するにいまいち必殺っぽくない死に様だったわけです。まわりがけしかけたこととか、そこらへんも含めてな~んか怪しい…。
磔刑に処されることまで旧約聖書で予言されていたことを鑑みれば、この一連の受難はその予言を再現するための一種の芝居みたいなものだったなんてことにも思えます。
4.チェ・ゲバラはイエスにそっくり
チェ・ゲバラという人物がいます。
キューバの革命指導者となった彼も大学で医学を学んでおり、南米の恵まれない人々を医療でもって癒やし、人心を集めていきました。そして熾烈な共産主義革命を指導し、戦いの中で命を落としています。
彼はイエスにそっくりであり、当時から「赤いキリスト」とも呼ばれ、今でも南米では神のごとく崇められている人です。
チェ・ゲバラとイエスを重ねたとき、僕はむしろイエスがゲバラのようだと感じてしまうのです。
5.まとめ
さて、「イエス・キリスト」ではなく「ナザレのイエス」がどのような人物だったか。
彼の行動や言動を、当時の時代背景と聖書的脚色を抜きにして考えると、彼はまさに草の根から身を起こし、きわめて計画的に人心を掌握していき、その民衆を率いて革命に身を投じた政治活動家・宗教革命家だったのかもしれない、というのが僕の解釈です。
は~~~長くなってしまいました。
もっと書きたいことはあるのですが、ひとまず今回は「イエスってどんなやつ?」ということに焦点をあてた内容にとどめておきます。
次回は現代のキリスト教について色々書きたいと思ってます。
アブラハムの宗教を語りたい① ユダヤ教の戒律について
あおいくじらです。
突然ですが僕は宗教のお話が大好きです。
僕は過去に某ソーシャルゲーム会社に勤めていた時期があったのですが、そのとき施策会議をしているプランナーたちが「野球と政治と宗教の話は絶対NGだから」と発言していて僕の何もかもが否定されてしまったという苦い経験がありますが、それでも宗教の話は大好きなのです。
その中でもやはり突出して興味深いと感じるのはアブラハムの宗教と呼ばれる三宗教、すなわちユダヤ教・キリスト教・イスラム教です。
この三宗教はすべてアブラハムというおっさんがすげーヤツだと言っている点で共通しているため、まとめてアブラハムの宗教とか呼ばれています。
さて、みなさんが宗教に抱いているイメージは様々あると思いますが、その中のひとつに「戒律」というのがあると思います。「酒は飲むな」とか「肉は食うな」とか「結婚前にエッチなことはするな」とか、そういうやつです。この三宗教は特に戒律についてのイメージが先行しがちだと思われます。
キリスト教なんかは「汝姦淫するなかれ」とかいう言葉が有名になっているので「キリスト教は戒律が厳しそう…」みたいな印象もってると思うので、そこらへんの誤解が解けたらいいなとか思ってます。
今後またキリスト教などについても書きますが、今回はこの3つの宗教のうち、とくにユダヤ教について戒律という観点からざっくりお話したいなと思ってます。備忘録も兼ねています。
1.ユダヤ教について
ユダヤ教は、この3宗教のなかで一番早く成立した宗教です。
簡単に言うとユダヤ人は唯一神ヤハウェに選ばれた最強民族だぜみたいな宗教です。ちなみにヤハウェってのは神様のことなんですが、読み方はこれでいいのかわかりません。
ユダヤ人の戒律はモーセとかいうおっさんが書いたトーラーに書かれています。
モーセといえば海をカチ割ったことで有名な人ですが、それはモーセが神様にエンチャしてもらったエンチャ杖を持っていたからです。海を割る他にも、彼はエンチャ杖を使ってエジプトのファラオとスーパー魔法バトルを繰り広げてエジプトをめちゃくちゃにした結果これに勝ち、愉快な仲間たちと一緒にエジプトを出て聖地へと旅立ちました。
モーセたちは甘くて訳のわからないなにかを食って生き延びながら50年くらいかけて聖地にたどり着き、シナイ山という山の上で神様とダチの契りを結びます。
そのときモーセは神様とのダチルール(十戒)が書かれた直筆の石版を授かりウキウキで山を降りてきますが、降りてきたら引き連れた民たちがダメって言われた偶像崇拝を早速やっており、それを見たモーセはブチ切れて石版をブッ壊し、またもらいに行くために登ったりしてます。自分で壊したくせに…(結局8回くらいシナイ山を登ってる)
ユダヤ教においてはここでモーセが授かった十戒というのは神様との契約であって、これを破ったら神様とのお約束を破ったことになるので、けっこうやばいことでした。
そんなユダヤ教の律法ですが、現代人の感覚からするともはやよくわからんルールが多いのも事実です。今回はその中でも特に有名な安息日とコーシェルについてお話します。
ちなみに素人なので、間違っていることなどもあると思います。ご了承ください。
2.安息日
安息日(あんそくじつ)は簡単にいうと
「休まないとダメ」
という日です。「やすんでいいよ」じゃありません。「休まないとだめ」なんです。
どれぐらいなにもしちゃいけないかというと、まず料理はダメです。料理はお仕事にあたるからです。自分の食べ物さえこさえちゃいけません。
歩いてもいけません。トーラーの規定だとだいたい1キロくらい歩くとアウトです。人によってはコンビニにさえ行けないので不便だと思ったかもしれませんがご安心を。コンビニも開いてません。ていうかまずお金が使えません。
この安息日は現代になるとより一層困難です。なぜなら電化製品が使えないのです。
スマホをいじるのもパソコンをいじるのも電気を付けるのも洗濯機をまわすのもTENGAウォーマーをつかうのもダメです。
エレベーターも使ってはいけませんが、じつはエレベーターには抜け道があり、イスラエルのエレベーターは安息日に限り自動で全階に停止しながら上下に動き続けています。
どうやら「電化製品を使う」の定義は「機械を働かせる」こと、すなわち「ボタンを押す」ことがダメなそうなので、勝手に動いてるものに乗ったりするのはOKだそうです。それでいいのか……。
ちなみにイスラエルでは、消防士や警察など社会インフラに属する職業は法律で免除されているそうです。なんか安心。
もともと安息日は神様が世界を造ったときに最後の日に休んだことにあやかったものだそうです。でも流石に神様もコンビニくらいは行ったと思うんだけど…
3.コーシェル
コーシェルは簡単に言うと「なにを食べてよくてなにを食べちゃダメか」を決めているものです。オッケーなら「コーシェルです」、ダメなら「コーシェルじゃない」みたいな言い方をします。
なんか色々あるんですが、次のような定義が代表的です。
獣のうち、すべて蹄の分かれたもの、すなわち、蹄の全く切れたもの、反芻するものは、これを食べることができる。(レビ記11章3節)
蹄が分かれて反芻する動物、つまりウシとかヒツジとかヤギはオッケーということになります。
豚、これは蹄が分かれており、蹄が全く切れているが、反芻をしないから、あなたがたには汚れたものである。(レビ記11章7節)
ブタはだめらしいです。
岩タヌキ、これは蹄が分かれており、蹄が全く切れているが、反芻をしないから、あなたがたには汚れたものである。(レビ記11章3節)
岩タヌキって何…?
ラクダもダメ…ん?
ちょっと待って?
分かれてるじゃん!!!!!!!!!!!!!
どういうことだよ!って思って調べてたらなんかラクダは種類によっては足の先まで毛がボーボーらしく、彼らの知ってるラクダがボーボーラクダだったせいで蹄が分かれてるかわかんねーから分かれてねーことにしたらしいです。
バカか?
い、意味わかんねえ…次行こうぜ…
水の中にいるすべてのもののうち、あなたがたの食べることができるものは次のとおりである。すなわち、海でも、川でも、すべて水の中にいるもので、ひれと、うろこのあるものは、これを食べることができる。
すべて水に群がるもの、またすべての水の中にいる生き物のうち、すなわち、すべて海、また川にいて、ひれとうろこのないものは、あなたがたに忌むべきものである。(レビ記11章9-10節)
だいたいわかりますね。つまり魚は食えるってことです。
「鱗がない」という観点からタコとかイカはダメということになります。このあたり欧米人にありがちなイカ・タコが食えないという文化の発祥につながります。
ちなみにウナギは鱗がありますね。でもパッと見ではわからないのでやっぱりダメだそうです。ふーん……。
ちなみに「イナゴは食ってOK」とか、「鳥はOKだけどどの鳥はだめ」って細かく列挙されていたり、他にもコーシェルの規定は色々とあります。さばき方さえ決まっているので大変です。
でも世の中には「コーシェル料理」とか「ハラールフリー」などを掲げ、こういう規定を守る人たちでも安心して食べられるレストランとかもあります。よかったね。
さて、色々と面倒な規定が多い戒律なのですが、そもそもなんでこんな意味不明なルールがあるんだ?と思いませんでしたか?
事実安息日やコーシェルなどは多くのユダヤ教徒も「そういう決まりだから…」で遵守したりしていなかったりしており、そもそもどういう根拠でこんなことが書いてあるのかはわかりません。もちろん聖書にも理由は書いてません。「神がそう言ってたから」という感じです。
「なぜこんな規定が設けられたのか?」
ここからが語りたかった本題です。
4.生活と宗教と戒律と
先に結論をいうと、これらはズバリ
「生きていくためのルール」
にほかなりません。
コーシェルの話を思い出しましょう。
一見すると蹄がわかれてるかどうかとか鱗がどうだとか何いってんだという話なのですが、これはつまり当時の人達が「今まで食ったことのあるもの」とか「食って大丈夫だったもの」とかの経験と知識をまとめ、その特徴を抜き出した結果「こういう特徴があるものはだいたい食える」と定義したものだったのです。
ウシやヒツジやヤギは、食べても大丈夫なことを知っていたのでしょう。では例えばイヌやハイエナは?食べるとウシやヒツジに比べ感染症にかかる可能性がありそうですね。ブタも寄生虫の危険が経験的に知られていたのでしょう。
レビ記では「這うもの」、つまり蛇とかは不浄とされ食べてはいけません。
まぁ見た目キモいし、砂漠とかにいる蛇は毒を持ってることが多いので食料にするのは危険でしょう。噛まれたら死ぬ毒を持ってる蛇が食えるってのは現代人の僕らからすれば常識ですが、当時の人々にとってはなかなか出ない発想だと思いますし。
海のうろこがない魚ですが代表的なもので言うとフグが考えられます。有毒ですね!
こうしてみると、コーシェルとして定義されていない生物は「食ったら危なそう」もしくは「実際食ったら危ないもの」の持っている特徴を共通して備えていると考えられます(厳密には違うのもありますが、これはあくまで古代の人々の知識がベースです)。
さらに面白いのは、ラクダです。
さきほど僕らを混乱のどん底に叩き落したラクダですが、なぜ食べてはいけないのでしょう。
実は「蹄が見えなかったから」は後付の理由だと思われます。
ラクダをコーシェルから外した真のねらい、それは「人が使役できる動物」だからでしょう。
先述の通りモーセはヘブライ人を率いて50年間も砂漠を放浪しました。彼らはその旅路の中で常にラクダを随伴させていたはずです。
荷物持ちや乗り物として役立つラクダは、過酷な砂漠の旅に絶対に必要です。しかし砂漠には食料がない。そんなときに誰かがトチ狂って連れているラクダをたべてしまったら…。そういう事態を防ぐため、最後の最後までラクダを食料にする選択肢を排除しなければなりません。これはそのための規定であったと推測できます。
あとさきほどイヌも蹄が分かれていない動物として挙げましたが、イヌは人類にとって羊追いなど役立つ動物ですから、ラクダと同じ理屈でコーシェルから外したのでしょう。
さて、ここまで語れば充分であると思います。
つまりこれらの律法は、限りなく現実的な側面を持った生活の知恵だったのです。
そしてそれを自分たちの共同体のなかに、厳格なルールとしてあまねく遵守させるにはどうすべきかと考えたとき、これはもう「神様がこう言ったから」とするのが最も手っ取り早く確実な方法だったのです。
もしかしたら安息日もこの考え方にあてはめられるかもしれません。
当時の古代メソポタミアの人々は「太陰暦」を用いて暦を読んでいましたが、その方法は「新月かどうかを神官が肉眼で見て判断する」みたいなあやふやな方法でした。当然曇りの日などは確認ができないため、その日が新月だとまるまるずれることになります。
暦の不正確性は農耕などに悪影響を及ぼします。そのために曜日をカウントする手段のひとつとして安息日のような制度が設けられた可能性も考えられますね。
もともと太陽暦を用いていたエジプト生まれのモーセが、自民族のアイデンティティを保ちつつエジプト暦の便利さのいいとこ取りをするための策だったのかもしれません。
付け加えるならば、ユダヤ教徒の特徴的な儀礼に「割礼」というものがあります。
男性器の包皮を切り取ってズルムケにする行為で詳しい起源は謎なのですが、おそらく乾燥地帯での性器感染症のリスクを減じるための行為が、前述のような理由で宗教的儀礼に昇華されたと考えられます。
5.まとめ:「知識」が「宗教」に昇華する瞬間
宗教というのは、人類の歴史の中でかなり早い段階で発生した概念であり、その本当の目的は、共通の信仰を持ち、集団の結束を強固にし、共同体を危機から守るためのものでした。
何を食べればいいか、何を使役すると便利か、そういう共同体が生存するための生活の知恵を神の教えとして浸透させることで自分たちを危険から遠ざけることが可能になったのです。
こういう、実生活に即したものが神秘的な「宗教」という概念に消化することは、なんというかパラダイムシフトみがあるというか、人類史のなかでもすごく面白い部分だと思います。
かなり長い記事になってしまいましたね…ここまで読んでくださった方がいたら感謝です。ありがとうございました。
再三になりますがこの記事、とくに4つめ以降はぼくの独自研究や独自解釈が多分に含まれているので、あくまでも僕はこう思うというものにすぎません。過信しないようお気をつけください。
さて、次回はキリスト教についてのお話をしようと思います。今回の戒律の話とはまた違った側面からのお話になるかと思われますが、キリスト教は本当に語りたいことがたくさんあるので楽しみです。
余談ですが、イスラエルの都市部にはとんこつラーメン屋があるそうです。
ブタくってんじゃん!!!
『Ancestors: The Humankind Odyssey』プレイ後記
あおいくじらです。このゲームの感想を書くためにブログをはじめました。
タイトルにもある通り『Ancestors: The Humankind Odyssey』というゲームをプレイしたのでその感想をしたためたいと思います。
このゲーム日本でやってる人全然いない&やってもムズすぎとか言って最後までやらずに糞みたいな言い訳レビュー書いてる雑魚が蔓延っているせいで日本におけるこのゲームのまともな評価があまりなかったので僕が書きます。そのためにブログも立てました。いくぜ
前置き:どういうゲーム?
ざっくり言うと『猿を進化させていくオープンワールドサバイバルゲーム』です。
ジャングルの中で生活する最初期の猿人(サヘラントロプス・チャデンシスとかいうらしい)としてプレイが始まります。「氏族」と呼ばれる集団を率い、ジャングルの中で寝床や食い物や飲み物を探しつつ生活していきます。
そうして生きていく中で脳みそとかが発達し、今までできなかった色んな事ができるようになっていきます。
ゲームの流れは
①探索したり生活したりしてニューロン(スキルポイントみたいなもの)を貯める
②溜めたニューロンで新たな能力を獲得する
③子供を産んで増やし、身につけた能力を次代に引き継ぐ
④頃合いを見て新たな種へ進化する
という感じです。
新たな種へと進化する際、進化前にやったことに応じて年数がカウントされます。(○○を殺したら+何万年みたいな)それがわりと難しかったりすると進化跳躍ボーナスが入ります。最終的に実際の学説よりも何年早く進化できたかというのがゲームクリア時のスコアみたいなものになります。
そういう感じで、猿人が人へどんどん近づいていくさまを追体験しつつ「俺ならもっと早くホモサピ到達できるから」という人類の祖先に対する壮大なマウントを取っていくゲームといえます。
結論を言うとこのゲームは難しかったです。
このゲームは「猿人を追体験する」ゲームです。最初ぼくらは脳みその容量が力水くらいしかない猿人ですから、どの草が食えてどの動物が危険で、どこでなにをしたらどういうことになるのかなんて知りません。そういうことはすべて実地で試し、試行錯誤の末に知恵を身に着け、進化の糧としていくのです。まさに追体験です。そういうことなので、チュートリアルは本能レベルでわかることしか教えてくれません。
「SEKIRO」や「ダークソウル」など、プレイそのものの難易度が高いゲームとはまた違った難しさがあるのです。むしろプレイそのものの難易度はそれほどではありません。瞬発力を求められるようなアクションはすべて操作が同一ですし、基本的にはお猿さんたちの健康管理とワクワクドキドキの冒険とサバイバルが主になります。
以上のようなコンセプトなので、ゲームの内容に言及するのは極力避けたいです。何を使って何ができるとか、そういうことすらもネタバレになってしまいますからね。
でも書ける範囲で書いておきます。
本題:完走した感想
惜しいゲームでした。
マップの美しさ、コンセプトの面白さ、人類の進化を追うという興味深い内容。どれをとっても素晴らしいと僕は感じました。
前述のようなとっつきにくさはあるので、さすがに最初の何時間かは「なんだよこのゲーム❗」と切れ散らかしながらやっていましたが、ゲームの全容をつかめてきたらもう止まらなくなってしまいました。
お猿さんたちはトライアンドエラーを繰り返しながら少しずつ融通の利く生き物に育っていきます。知恵と勇気を総動員して猛獣を退けたときは「これがパラダイムシフト…!!」と大はしゃぎでした。
ただ、最後までプレイして振り返ってみると、やや物足りないなあ……というのも正直なところです。
このゲームはある段階まで進化したらクリアとなってエンディングが流れるのですが、始めたときに想像していたよりもずっと早い段階でそれが訪れてしまいます。
僕らは文明バイアスがかかっている文明人なので、クラフトとか建築とか「もう少しどうにかできるんじゃない…?」ってどうしても思ってしまうんですが、やっぱ猿人なんすよ。ネアンデルタール人のような旧人よりも、北京原人のような原人よりも前の「猿人」です。プレイ中はそれをまざまざと思い知り続けます。ようするに不便なことが多すぎるのです。それが最後までストレスであったことも事実です。
なので「もっと進化したらもっとこんなことができるかも!」と期待していたらそこまで行かずに終わってしまうのですね。残念。
しかもクリア後のボーナスアンロックにヤケクソ感を禁じ得ず、せっかくいい作品なのにあまり2周目やるモチベーションも起こらない感じになってしまっています。
きっと構想段階ではもっと我々新人(ホモサピエンス・サピエンスとかいうらしい)の近くまで進化できるようにしたかったのだと思います。いろいろな事情でここまでになったのだろうなあ…というのがにじみ出てしまっている感じがします。
さらにエンドコンテンツ的要素になっている「進化跳躍」の年数。これは前述のとおり「実際の学説より何年早く進化できたか」というのがリザルトスコアのような役割を果たしているのですが、何百万年早く進化したところで見かけや性能に違いが現れないので「そう……」としかならないんですね。
このコンセプト自体あまり広く受け入れられないだろうなと思うところに、そういう点で期待を裏切られるわけなので、プレイ後の感想は「惜しいなあ~」となってしまった、という感じなのです。そういうわけで、ゲーム自体の出来としては75点くらいだったかなと思うのですが、このゲームはプレイ体験にとどまらないいろいろなものをもたらしてくれました。
このゲーム、マジでもたらしがやばすぎる
ぼくのコミュニティでは新たに知見を授けられたりすることを「もたらしがあった」とか「もたらし団子」とか言ったりするのですが、このゲームはまじでもたらし団子の特盛タレだく状態だったのです。
僕はこのゲームをプレイしている間ほとんどdiscordで配信していたのですが、観ていた仲間たちと「中新世という時代の生き物は?気候は?」「サバンナとジャングルの境目ってどうなってるの?」「この種ってどういう特徴があったの?」などあらゆる疑問を調べたり話し合ったりしてものすごく知識が増えたのです。
例えば誰かがふと「こいつらめっちゃ毛深いなあ」と言ったことから「ヒトは体毛が薄くなったことで汗腺が発達して体温調節の機能が向上した。これによってヒトは他の動物よりも遥かに長い距離を走れる動物になり、持久力に劣る他の動物を狩ることができるようになった」「二足歩行をすることで自由になった両手で道具を作ったりできるようになった」「二足歩行になったのは草原で動物を発見するためとか色んな説がある」「ほぼ同緯度でも低地と高地でバイオームは大きく変化する」「そういえばアフリカ国の首都は標高が高いところに作られてることが多い」とか…無限に知識の探求がはかどりました。
僕はゲームで猿人のニューロンを発達させていましたがプレイすることで僕らのニューロンも発達を促されていたという結果になりました。これこそまさに追体験以外の何物でもないと思います。
そういう点でも、プレイ以上のもたらしがあった。Ancestorsはそんなゲームでした。
レビューを書いてる人たちへ
ゆえにそういうコンセプトを理解しない(できない?)人たちにとっては死ぬほどとっつきにくいクソゲーという評価で序盤だけ触っておしまいということになってしまうのも詮無い話です。かなりプレイヤーが歩み寄ってあげないといけないゲームであることも事実です。
ただ、レビュアーとして、それ以前にゲーマーとして、そのゲームの意図とコンセプトをせめて理解し、その上で面白い面白くないを判断してほしいと思います。
自分が面白くない・難しいからクソゲーとか書いている人は、論外です。スマホポチポチゲーでもおやりになられるのがよろしいかと思われます。
最後に。Ancestorsのクリアタイムは55時間でした。Epicのセール+クーポンで1000円で買えたゲームなので充分以上ですね。
もしかしたら二週目もやるかもしれません。
ともかくもおすすめのゲームです。みなさんもぜひやってみてくださいね。